悪口や嫌がらせに対する正しい心構え

【相談者:39歳女性会社員】現場で40代の女性に嫌がらせを受けてます。聞こえるような悪口、冷やかし、悪態が毎日あります。 最近はバイ菌扱いされました。あと、周りで誰かが作業で失敗すると、私の呪いや〜、と回りに聞こえるように大声を出して笑います。上司に相談しても、その程度と言われ現場移動をお願いしても相手にしてもらえません。 現場の人達は40代の女性側に付いて一緒に悪口や私の動きを見てクスクス笑ってます。私も、相手をしないように作業に集中して黙々と仕事を片付けてます。ただ、母子なのでよく考えて動かないと生活があるので転職か我慢か…迷ってます。アドバイスをいただけたら嬉しいです。

悪を発した人に、悪は戻る

お釈迦様の教えを記した経典である『ダンマパーダ』に、このような言葉があります。 「汚れのない人、罪のない人、清らかな人を害えば その愚か者にこそ、悪は戻る逆風に投げた微塵のごとく」 逆風に向かってゴミを投げつけると、ゴミは投げつけた人のもとに戻っていきます。同じように、悪口を言ったり、危害を加えた人に、悪は戻っていきます。 相談者さんの問題は、自分の中に哲学がないこと。それから、正しい教えを知らないがゆえに考え方がブレてしまっていることです。相談者さんが一生懸命に仕事に取り組んでおり、人として当たり前のことをやっているという自負を持っているのであれば、決して逃げることはありません。悪が戻る先は、お釈迦様が指摘された通りです。なにを言われても、しっかりと自分を保ちましょう。

「慈悲の瞑想」を実践しよう

少し難しいことかもしれませんが、ぜひ実践していただきたい解決法を提案します。 「慈悲の瞑想」という方法です。自分の中で、次の4つの言葉を繰り返してください。 1、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々も幸せでありますように 2、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように 3、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように 4、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々に悟りの光が現れますように 自分に悪口を言ったり、危害を加える人は許せないものです。「いつかギャフンと言わせたい」と思ってしまうことでしょう。 しかし、恨みに対して恨みをもって返すと、いちばん傷つくのは相談者さん自身です。 仏教は「悪く言われるのを我慢せよ」と言っているわけではありません。もう一度「逆風にゴミを投げつけたら誰にそのゴミは戻るのか」考えてみてください。本当は、悪口を言っている人を憐れむべきなのです。悪口を言う人は、実は可哀想な人なのです。

悪口を言う人の心の闇

もし相談者さんの仕事がいい加減であるのなら、仕方がないことかもしれません。しかし「いい加減ではない」という自負があるのであれば、問題は悪口を言う相手にあります。ですから「職場の人たちはみんな悪口を言う女性の味方だ」と考えるのは間違いです。その女性を愚か者だと思っている人は必ずいることでしょう。 悪口を言うのであれば、悪口を言わなければならない理由が必ずあるはずです。相談者さんがまともな人間である以上、もしかしたら、その女性が心の底に闇を抱えている可能性があります。家庭や仕事でうまくいっていないのかもしれません。 また、単に注目を集めたいのかもしれません。人の注目を集める最も簡単な方法は、悪いことをすることです。物を壊す、暴力に訴える、人の嫌がることをする。どれも智慧を使わずにできることばかりです。 そうやって注目を集めている人が、まともな信頼を得られるはずはありません。

同じ土俵に上ってはいけない

なにか悪いことをされたら、同じことをしてやり返すほど愚かなことはありません。 ゴミは投げた相手に必ず戻るのです。恨み心を起こすことなく、「ああ、可哀想だな」と憐れんであげてください。決して、同じ戦いの土俵に上ってはいけません。 もし、自分に対する悪口や危害に対して、完全にシャットアウトすることができれば、応援者はきっと現れます。自分の中の軸がブレることのないように、果たすべき使命をしっかりと果たしてください。 そして、母子家庭であるからには、強い母であることをお子さんにも示してあげてください。「同じ土俵には上ってはいけないよ。堂々と生きていきなさい。」と教えてあげましょう。 「ゴミは必ず投げた相手に戻る」という法則を忘れず、ぜひ「慈悲の瞑想」を実践してみてください。 そんな母の姿が、お子さんにとって大きな力になることでしょう。応援しています。 https://youtu.be/MfLTwoskGyc]]>

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5 件のコメント

  • 初めまして。
    職場で陰口を言う人たちがおり、それに対して自分の芯をぶらさずにいるにはどうすればいいか、どう考えればいいかを模索中、こちらの動画に行き当たりました。
    慈悲の瞑想について、初めて知る概念であり、新鮮であり、やってみようと決めました。
    ぼくが嫌いな人も、ぼくを嫌いな人も心穏やかな、一年が訪れますように。(始めたのは年末です)
    ぼくが嫌いな人も、ぼくを嫌いな人も、幸せな一年になりますように。
    ぼくが嫌いな人も、ぼくを嫌いな人も、○○でありますように。
    ○○の部分にはいろいろな言葉を当てはめて言ってみました。
    それまでは、死ねばいいのに、とか、バチが当たればいいのに、とか考えていましたが
    どういうわけか、この慈悲の瞑想を知ってしまってからは
    そういうマイナスな言葉を口にしてしまうとしっくりこないのです。
    まだつい口端に登らせてしまうことがないとは言えませんが、この慈悲の瞑想は続けます。
    ぼくのブログで大愚さんのことを書かせていただきました。
    また、こちらの動画について、オフラインでも聞きたいのでダウンロードしたいのですが、よろしいでしょうか?

  • こんにちは。
    iTunes のポッドキャストでも配信されているって先ほど初めて知りました。
    ポッドキャストを購読しましたので、YouTubeのダウンロード云々はしなくても良くなりました。
    ぼくは小さい頃から記憶領域に偏りがあるので、
    聞いたそばからすぐに忘れてしまい、日常生活に難儀しています。
    ネット上のいろんな会員に「ならないこと」でぼくの世界を守っています。
    オフラインでも聞けるようになれば、何度もなんども聞くことによって
    大愚さんのお声や抑揚を繰り返し思い返せるので
    記憶の助けになります。覚えることよりも
    慈悲の瞑想を自分の習慣にすれば記憶に頼らなくても体が先に覚えてくれます。

  • こんにちは。
    この動画を拝聴して(朝ホームで聞き、お昼休みに聞き、帰りの電車の中で聞いています)
    ダンマパダという言葉に記憶をつつかれました。
    ダンマとはダルマ=法
    と、ふと思い出し、法句経のことかと気がつきました。
    法句経なら自宅の本棚にあります。
    早速、黄ばんでしまった本を取り出して、読み始めました。
    小さい本だけど、難しくて長いんですね。
    でも、偈のそこかしこに大愚さんの動画で語られていることが書かれてあるので
    大愚さんは、宗派、流派、大乗小乗関係なく
    広くブッダの言葉として語られているのだなと感じました。

  • こんにちは。
    ようやく、慈悲の瞑想の四つのセットを覚えることができました。
    幸せ…普遍な願い
    悩みがなくなる…内なるマイナスがなくなること
    願いが叶う…外に向かうこと
    悟りの光が照らす…もっと大きな普遍に出会うこと
    こう覚えておけば、細かい文言は間違えても、大きなくくりで正しいかなと思っています。
    で、仕事をしながら、
    「ぼくを嫌いな人も、ぼくが嫌いな人も願いが叶いますように」
    と唱えていて、ふと気がついたのですが
    ぼくはぼくを嫌いな人、ぼくの悪口を言って楽しんでいる人を「嫌い」というわけじゃない
    もちろん、好きではありえないんですが、どうでもいいというか、放っておいてくれさえすれば縁なき衆生というか
    今この時に不幸な関わり方をしているけど、いてもいなくてもいい人というか
    別に「嫌い」というくくりでは、ぼくは嫌いな人はいないなって思ったんです。
    あと、ぼくを嫌いな人たちの「願い」はぼくが彼らの眼の前からいなくなること
    ぼくのメンタルが壊れて仕事を辞めていくこと
    ぼくが何か大きな失敗などをしでかして、上司から排除されること
    だろうなあと考えた時に、その「願い」が叶いますようにとぼくが唱えることについて
    パラドックスを感じました。この矛盾がいけないとかダメだとかとは全然思わなくて、
    何だかそこはかとなく可笑しみを感じました。
    それから別の話なんですが、この慈悲の瞑想を言葉に出したり頭の中で毎日のように唱えたりしているせいか
    昨日のことです。電車の中で、ぼくが座っている対面に座っている見も知らぬ人たちの一人一人に
    「幸せになりますように」「願いが叶いますように」「嫌なことが起きませんように」「悟りの光が照らしますように」
    って無意識に念じている自分がありました。

  • こんにちは。
    慈悲の瞑想、、唱えることが難しくなりました。
    最初の新鮮さが失われると、意思を持って唱えなければならない。
    そうすると、続けることが難しいと感じ始めました。
    他の動画で「内観」を教えていただきましたが、
    こちらは意思の力無関係で自動的に発動します。
    ぼくは中学時代からずーっといじめられてきたので、それを無視するために
    肉体と精神が分離するようになりました。
    精神がいじめられている肉体を客観的に見下ろしていました。
    それと同じく、怒りが湧いてきても
    「怒っている、怒っている」と実況放送が始まる感じで客観的なぼくが発動します。
    そして、大愚和尚様の小梅太夫のモノマネ「チキショー」までをワンセットで
    自動的につながるので、怒っていても最後はクスッと笑って終了します。
    以前はハッと気がつくと怒り終わっていて目の前のタンスが割れていたりしていましたが、
    内観を発動させることを覚えてからは怒りが短くなりました。
    あと、ダンマパダに
    人の悪いところを見るな
    彼の何をして何をしないかを見るな
    ただ自分が何をして何をしていないかを想え
    というのがありますが、これを想起するようにしています。
    とはいうものの、いじめをしてくる人の挑発がひどく
    防犯カメラのないところで首を絞めたり扉に押し付けられたり
    胸ぐらを掴んで罵られたり。
    大愚和尚様の「同じ土俵に乗ってはいけない」という言葉を
    つい忘れて反応してしまいました。
    愛語のポッドキャストを聞いていたまさにその日のことなのに、
    なかなか難しいです。
    自分の心を律するのは難しいです。